ドブログ[Do-Blog]は個人的なメモブログです。文具、Mac、写真、情報設計が主な話題。OM-D E-M5mark2やTG-4で撮ったり、LAMYとMoleskineで書いたり、Macで仕事してます。

ボクは行列と渋滞が嫌いだ。大嫌いだ。

2009年5月19日 火曜日@23:51

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情報考学 Passion For The Futureで紹介されていたので読んでみた。

読む人によって、評価が分かれると思う。

まず驚いたのが、著者の山田玲司さんについて。あのBバージン、ドルフィン・ブレインの山田玲司さんだ。名前を見た時に、似てる名前もあるもんだと思ったが、本人だった。

ロックな主張

比属(=主流に所属せずわが道を行く人)への応援と、社会でうまく生きていくためのほんのちょっとのアドバイスが書かれてある。

怒りというか反骨精神というか、必ずしもクリーン・ポジティブでないベクトルがこの書籍にはある気がした。荒削りだし、論拠がすっ飛ばされてたり、矛盾もあるが、とにかく凄い勢いなのだ。

しかし、詭弁ではない。たぶん真実の一端をつかんでいるように思う。

この「勢い」は他人が代弁しても面白くないので、是非一読願いたい。

とりあえずここでは、おもしろかったキーワードをあげてみる。

人生の定置網

三人寄れば、場の空気

迫害あって、百利有り

王道は大渋滞

これだけで何を言わんとするか分かるとおもう。

非属の人が、うまく生きるコツ

後半では、ひねくれ者、非属の才能を持つ者への、ちょっとした社会性獲得講座がある。要約すると次の3つの病気を克服するといいらしい。

自分は変わっているんです病

自分はいつも正しい病

メジャーだからダメ病

はちみつとクローバーで言うところの、青春スーツだな。

多分ボクも非属人間だ。実家はバブルで弾けとび、時給620円のバイトで貯めた20万円とギターを持って上京し、その金を80ccのカブにつぎ込んで乗り回し、新聞を配りながら遊びほうけ、HTMLも知らないくせに美人が多いという理由だけでWeb会社に潜り込み、MacとOlympusを愛し、ダサイタマの越谷に築30年の中古の家を買い(ちなみに山田玲司さんと同じ市)、渋滞と行列が大嫌いで、しかも、いまだに家出少年だ。(10年以上前のおやじとの最後の会話は「うるせーばーか」)

非属で生きるにはそれなりの覚悟と感性が必要だ。

ジブリ映画の「耳を澄ませば」で、雫のお父さんが雫に言った言葉を思い出す。

人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにも出来ないからね。」は、たぶん真理だ。

このしんどい道を歩き続ける事が出来る人間は、そんなにいない

しかし、非属に生きる事での旨味や醍醐味は、一度味わったらやめられない。

「人は知らず知らずのウチに、自らの非属の才能をつぶしている。」そこに気が付けたら、しめたもんだ。

あとは、やるかやらないかのちょっとした違いだけだから。

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涼宮ハルヒの恥辱

2009年5月14日 木曜日@12:32

なにやらピンク系なタイトルっぽいけど、ちょっとちがう。

いや、いまさらですが涼宮ハルヒシリーズを読んでるんですよ。そんで、ボクが本を読むのは通勤電車内と決まっているわけです。

で。これ系のラノベを電車内で読むのはすげー恥ずかしい!と、気がついた。

まず、表紙が恥ずかしい。いい歳したおにーさん(断じておっさんではない)が、萌え系なオナゴが全面にデザインされた本を持ってるのは注目を浴びているに違いない。自意識過剰でなければ。

次に、挿絵が恥ずかしい。20ページぐらい毎に出てくる、これまた萌え系な1ページに出くわすたびに、見開きでセットになっている文字のみのページを10秒以内に読み終える必要があるのだ。

あと、挿絵が透けてるページと、ページ端っこの「涼宮ハルヒのなにがし」っていう文字も恥ずかしい。

あたかも堂々と読んでいる風に装っているが、正直言って人の目が気になって仕方がない。

隣に座ってるキレー系のおねいさんは、さぞかし「なにこのメガネヲタ。隣に座んじゃねーよ」とか思ってるに違いない。

「確かにオタクですが、至極善良なオタクです。妻子もいます。ちなみにラノベオタクではありません。」と、意味不明な弁解したいくらいである。

じゃあ読むなよっていう突っ込みもあるだろうが、面白いんだから仕方がない。

ってことで、涼宮ハルヒシリーズはおススメ。できるだけ若いうちに読んどけ。

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ケダモノと調教師

2009年4月30日 木曜日@22:40

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しりあがり寿さんは昔から結構好きなんだけど、この本はすげーなと。

まず、文章がうまい。読ませる。面白い。分かりやすい。

例えや章立てが理路整然としていて、アホな僕たちにも分かりやすくなっている。

肝心の内容ですが、全然「マンガ」の入門じゃない。「クリエイター」か「社会人」の入門書だとおもう。

その証拠に、全編読んでもあまりマンガのことは分からないw

ケダモノと調教師

印象的な表現として、ケダモノと調教師という比喩を使ってます。

ケダモノ=アーティスト、自己表現、衝動、我、人に受け入れられたい、何でもとりこんでどんどん出したい

調教師=マネージャ、利益追求、理論、理性、ケダモノをどううまく使うか、社会的な立場を構築したい

と、こんな感じでしょうか。人はそれぞれケダモノと調教師をその中に内包しており、それらをうまく使っていくことが食っていくためには必要である。という内容かな。

ボクの場合

ボクもまあ、ありがたいことに恵まれた環境で生きていて、Webっていう黎明だけど活気のあるメディアに携わらせてもらってます。

で、ものづくりをしている時に必ず葛藤するのが、ケダモノと調教師のバランスです。

どこまで我を通し、どこまで引き下がるか。これはよい物なのか?売れる物なのか?その選択は正しいのか?怠慢ではないのか?おせっかいではないのか?

一つ物を作るだけでこのありさま。

でも最近は調教師が強くなりつつあります。会社が発展途上であり、自分自身も人生の新しいフェーズにさしかかっていると実感しているためだと思います。子どもとかね。ローンもあるし。

逆に、東京へ出てきたときなんかはケダモノがとっても強かった。我が強かった。とにかく何でも良いので表現をしたかった。人にスゴイと言われたかった。死んでもよいと本気で思ってた。実際かなり死に近い所に居たような気がする。

それだけ全てをなげうってでも何かをしたかった。ていうか、ボクは結局、何をしたかったんだろう?w

まあ、今でもその傾向は変わってないんですけど、なんとなく最近は調教師がケダモノの扱いに慣れてきた。ウマくなった。

ちゃぶ台をひっくり返すような喧嘩もしなくなったし、場を読むようになり、あえて黙ることも多くなった。「大人になる」ってのはこういうことなんだなと。

でも、どんなに年をとってもケダモノ:調教師の比率が、0:10になることは無いと、確信してる。それは多分、クリエイターとしての死を意味すると思う。それはクリエイターでもアーティストでもなく、オペレーター。

多分、ケダモノ:調教師が、6:4ぐらいがボクの最終到達地点なんじゃないかな。

んで、一生、ケダモノの取り扱いに、調教師が困り続けるんだろうな。

そう覚悟(?)ができたら、いろんなことが楽になった気がする。ちょっとだけどねー。

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