ドブログ[Do-Blog]は個人的なメモブログです。文具、Mac、写真、情報設計が主な話題。OM-D E-M5mark2やTG-4で撮ったり、LAMYとMoleskineで書いたり、Macで仕事してます。

理性の限界

2009年11月11日 水曜日@00:18

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面白かった。

大きく3部に分けて人間の限界にたどり着こうとする。

ディスカッション会場にさまざまな分野の人が集まり議論する様子を文章化するという、ちょっと変わったスタイルで物語は進む。

  1. アロウの不可能性定理
  2. ハイゼンベルクの不確定性原理
  3. ゲーデルの不完全性定理

2,3は得意分野なんでよく知ってるが、アロウの不可能性定理は、初めて聞いた。

小選挙区制と中選挙区制。

間接選挙と直接選挙。

アメリカ大統領選挙の奇妙な制度。

IOCの不可解な投票方法。

など、民主主義においての選挙が「完全な公平を実現するものではないだろうな」とは思っていたが、まさか定理となっていたとは驚いた。

会社や組織での評価などもそうだけど、何かを評価する(選挙する)というのは、「できるだけ近似値を出す。」ということに他ならぬ。

間違っても、完璧な評価方法がどこかに存在するなんて幻想は抱かないほうがよい。

つまり、「だぁれも俺のことわかっちゃくれねぇ」って飲んだくれてボヤく権利は万人に有るし、それは真理なのだ。

ベロンベロンのおっさんは、一種の悟りに到達してると言える。

ペシミズム的な意見ではなく、そういうものなのだ。

ディスティ・ノヴァ教授は言った。

生の始まりは化学反応にすぎず
魂は存在せず
精神は神経細胞の火花にすぎず
人間の存在はただの記憶情報の影にすぎず
神のいない無慈悲な世界でたった一人生きねばならぬとしても・・・

なお我は意志の名の元に命ずる
「生きよ」と!!

不平等、不公平、不幸、絶望を受け入れた上でなお、進もうとする人間の意思がこの言葉には詰まってる気がする。

金言です。

しかし、こういう文章を書いては消してするのは、羞恥心と自己顕示欲の葛藤なんだろうな。

まだまだ青春スーツは脱げないぜ。

それにしてもカント主義者の扱いが酷過ぎワロタw

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