「みなさま、ご声援ありがとうございます!」
という選挙カーから聞こえる常套文句は、あれはあれでよく出来ている。以下2つの特徴について考えてみた。
- 視聴者が反論しにくいメディアである。
- 視聴者からの反論を無かったことに出来るメディアである。
視聴者に、反論されていないと思わせることが大事
選挙カーからの例の文句は、反論が非常に難しい。
街頭からどんなに声を張り上げても、スピーカーの声量には勝てないし、そもそもすぐにどこかへ走り去ってしまう選挙カーに文句を言っても、むなしい空気が残されるだけ。
たとえ選挙カーが止まっていたとしても、「ヤジ」に対してマトモに議論するような候補者等いない。
つまり、選挙カーで選挙活動してる人は、有権者と同じ土俵に立っているとは言いがたい。
「みなさま、ご声援ありがとうございます!わたくし、○山三郎は、みなさまの期待に答えるため、最後まで戦い抜きます!ありがとうございます!ありがとうございます!」
と連呼し続ければ、「他の視聴者」と隔絶された状態において、視聴者は「俺は別にどうでも良いと思うが、他の人は応援しているのか」という思考が少なからず発生する。
つまり、反論を無かったことにして、好評である点を主張しまくることによって、バンドワゴン効果を発生させることも可能なのである。よくできてる。
まあ、そう言う意味で、あの選挙カーでの連呼は、マスコミに非常に近い性質を持つ
反論できないメディアを有効活用する
マスコミも基本、一方通行なメディアであり、反論があったとしても、それは別の時間・別の場所での議論となる。いや、反論が日の目を見ること自体が僥倖であると言えよう。
つまりほとんどの場合、マスコミが一方的な報道・偏向報道を行っても、視聴者がその場で反論することは不可能である。
この点では、マスコミや選挙カーはプロパガンダに適している。
大衆はなぜ学習しないのか
しかし、ああいう原始的な戦術が未だにまかり通っているのは、なぜだろう。マスコミの偏向報道に耳を傾けてしまうのは、なせだろう。。大衆の集合知は、いつまでたっても向上しないものなのだろうか。
有識者がきちんと指摘し、後進に教えてやるべきじゃなかろうか。
大衆はそれぞれが一生懸命勉強してるだろうし、失敗から成功をえているはずなのだが、社会全体という単位で見事に騙される(煽動される)ことがママある。
やはり、義務教育で教えるか、法律で規制するしか無いのだろうか。
なんだかちょっとむなしく感じた。
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空蝉
被写界深度を浅くし露出オーバー気味にしたら、あらちょっとノスタルジック。
70匹ぐらい集めたぜ。
炎天下、1時間ぐらいかかったぜ。
長女が飽きたので、途中から孤独な戦いだったぜ。
オームみたい。
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情報伝達不完全性原理
ボク「今日、夕立注意だって」
ヨメ「へー今日雨なんだ」
今日の朝、実際に取り交わされた会話である。
ボクの伝えようとする意図を極力書き出すと以下のようになる。
「今日は、晴れているようだけど、大気が不安定だから夕立が起こるかもしれないってよ。洗濯物とか出したままだと濡れるから気をつけな」
それが、ヨメの発言によれば
「今日は雨が降るよ」
という言葉にのみに聞き変えられているようだった。
ここでボクの発言から、本来主題であるべき「濡れるから気をつけろ」という意図が完全に欠落している。(そもそもボクの言葉が少ないのが悪いのだが。)
原理
普段から、そうじゃないかなぁとは思っていたが、どうやら情報ってのは人から人には100%正確に伝えることは不可能っぽい。
いやいやデジタルなデータは劣化しないぞ。とおっしゃる人は鋭い。が、「ある人」から「ある人」へ伝達する際、一旦デジタルデータを媒介としているだけであって、やはりデータに落とす時と、取り出す時に情報は必ず劣化する。
自分の考えていることを、直接デジタルデータ化できれば良いのかもしれないが、そもそも言語という媒介自体が、不完全なものなので単純に言語をデジタルデータ化するだけでも無理そうだ。
ちなみに、データは情報より原始的な分、劣化しにくい。
この事実を受け入れれば、何かが変わりそう
つまり情報伝達不完全性原理とは、人から人に何か情報を伝えようとする際、絶対に100%正確には伝わらない。ことを指す。
(命名した日本語が、正しいかどうかは吟味中。よくわからなくなってきちゃった)
上手に話そうが、上手に絵を描こうが、上手に音楽を奏でようが、発信者と受信者の間には情報の差・ロスが必ず発生する。
それは、多くの場合「発信者>受信者」という情報量の法則が成り立つが、稀に逆転することもあると思われる。(しかし、発信者の意図しない情報を勝手に生み出している時点で、正確ではない。)
どんな芸術家も演説家も表現者も、どうやらこの原理は受け入れられなければならない事実っぽい。(別に実証が出来ている訳ではないのだが。。)
また、どんなに上手に情報をメディアに封じ込めたとしても、その前後の文脈や環境、メタ情報、時代背景などの暗黙知は欠落することになる。
別の場所、別の時間、別のシチュエーションで、そのメディアを開封したとき、やはり劣化は起こる。
そう考えると、われわれがやっている情報設計っていうものは、100%に如何に近づけるかという前提に基づいた減点方式なものになる。(いいすぎ)
これが絶望を産むか、モチベーションを産むかは人次第だろう。
ああ、伝えるって、スゴく難しいなぁ。
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