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2007年01月25日
全てのオブジェクトは、全体の一部に過ぎない
[雑記]
「オブジェクト」という部分がなんとも良い言葉が思いつかなくて、「事象」とか「部分」とかが場合によっては当てはまりそうな予感。
何が言いたいのかというと、あるシステム(物でも仕組みでも)において、その内部に含まれる要素だけを取り上げて判断・決定するのは、短絡的だということ。
難しいな。もっと簡単にしたい。
全ての事は、それが属するシステムの影響を受けるべき。
かなり近い。
たとえば、ある一人の人間がいるとする。その人は、自分自身の利益のみで物事を決定すると、長い目で見た場合、その決定が自分や隣人に不利益に転じる可能性がある。
ポジティブな意味では、情けは人の為ならず。ネガティブな意味では、天網恢恢疎にしてもらさず(ちょっと違う?)。中立な意味では因果応報。
ちょっとモデルを考えてみる。
個人<部署(小さな集まり)<会社(大きな集まり)<業界<社会<国<世界
例えば、ある会社がその会社のみの利益を考えて行動すると、業界全体の不利益になるようなことも少なくない。不二家の不祥事がお菓子業界に打撃を与えるようなもの。さらに別の業界などに飛び火し、社会全体の不利益になり、それはそのまま国全体の経済に影響を与える。そして世界。。。
あまりにも大風呂敷だし、自意識過剰な理論かもしれないが、ほんのちょっとでもこの視点を持つべきだと思う。
多分、これってカオス理論やフレーム問題と繋がっていくんだろうなと思う。
社会とは、結局個人の集まりでひとりひとりの意思決定によって流れを作り出しているに過ぎない。
インフォメーション・アーキテクチャにもこの視点が必要。部分が全体に影響する視点と全体が部分を統制する視点の両方が巧くかみ合ってこその構造物となる。
この相互影響性こそが、物を作るという事の醍醐味だと最近思ってる。
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