Bllogerアーカイブ - ドブログ[Do-Blog]

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記事一覧(最近5日分)

月曜日, 8月 30, 2004の記事

メモ Blogger

【Bloggerでブロッグ】 ブロガーを使ったブログ製作 情報いろいろ ・日本語ブロガー募集中! 日本語でBLOGGERを使っているブログを募集しています。FeedBurner RSSを生成。

LOMO 銀座

Thumbnail Thumbnail 銀座。 フィルム:Agfa Ultra 100

Bloggerメモ パーソナルデータ

Bloggerにパーソナルデータを公開できるサービス(?)を見つけたので、作ってみる。 あとは写真かなぁ。 http://www.blogger.com/profile/1666023

日曜日, 8月 29, 2004の記事

LOMO 246沿いの空

Thumbnail 少し前、出勤時に雲が綺麗だったので赤信号の間に撮った。写真の下の部分に赤い点があるのが信号。 一般的に見て、こんな太陽をまともに撮ったような写真はだめだめなんだろうなぁ。でも、なんか自分自身では撮った時の温度とか匂いとかがしてきそうで結構好き。 フィルム:Agfa Ultra 100

金曜日, 8月 27, 2004の記事

Bloggerメモ

個人的なメモ あとはatomをRSSに変換すればいいのか?

木曜日, 8月 26, 2004の記事

サイト設計と作業フローについてのメモ

だらだらと書き連ねる 論理的HTML+CSSコーディングの弱点を垣間見た気がしたのでメモ。(誤字脱字はご勘弁) 作業フローが煩雑になると、とたんに応用力を失う。というか、メリットのほとんどが裏目に出てしまう。スマートな作業フローについての走り書き。 設計図の完成度が低い、または存在しない 設計図には少なくとも3種類必要だと思う。
  • 物理的設計図
  • 論理的設計図
  • 画面設計図
まず、物理的設計図。 これはサーバ上のどこに何を置くかという設計図。ディレクトリ構成。 URLは勿論、ファイル名やディレクトリ名もココで決める。欠損があってはならない。出来れば画像名まで決めてしまうと、かなりすっきりするはず。CSSの分割方法や配置も決めてしまえ。 つぎに論理的設計図 これはサイトマップのようなもの(ほぼイコールだと思う)で、コンテンツの意味的な配置の事。 視点はユーザー視点になる(はず)。よくごっちゃになっている人がいるが、論理的設計図と物理的設計図はまったく別の属性を持つため、同様になることはほぼ無い。この区分けが出来ていないと惨い事に。 最後に画面設計図 これは、画面内の設計図(解説になってませんw)。 画面内のどこに何を配置するかを取り決める。この時、画面内の論理的な取り決めも行うこと。(どれがh1だとかh2だとか、これはulだとか)一つのサイトでスタイルの違う同列ページがある場合、きちんとルール決めをしないと統一的な管理に支障をきたす。 テーブル的発想のコーディングをしていると、だいたいココでつまずく。静的なページ全てと動的なページのテンプレートを全て洗い出す。別ウィンドウ画面やヘルプ画面なども忘れずに。 この3つを揃えると、フローの流れは潤滑になり実作業者もやりやすいとおもう。デザイナーやコーダーなどの作業効率や質が向上するとディレクターも楽になるという寸法。 ただし、これを実現するには初期段階の設計でかなりのパワーが必要であることも確かなので、ディレクターを中心にデザイナーとコーダーとプログラマーなどを交えて補完しあうべきだと思う。 ショッピングサイトやユーザーとのやり取りが発生するサイトの場合、これらに加えて画面遷移図が必要。これは論理的設計図に内包するべきだろうか?まだよく分からない。 作業フローについて サイトはその場限りの直感ではとても構築できない(実際には直感で作る人や会社はいっぱいあるのだが)。直感の積み重ねで何度も修正された設計図はどんどん劣化していく。 そもそもマークアップは設計図が出来上がっている状態であれば、スタートが可能。先に論理体系だけ組んでしまえばいいだけの話(「完成」はできませんが)。 あとからデザインを乗っけるのもそんなに面倒臭くない(※1ある場合を除く。下の項目を参照) しかし設計図に頻繁に直しが入ったとなると、論理体系自体にも修正が加わることが多く、いつまでたっても仕事が終わらない。 設計図の修正の原因で嫌なものを2つ。 一つ目、クライアントの突発的なご意見(ワガママと言い換えても可)。 二つ目、設計図の完成度が低い場合(システム的な要素、画面遷移などが詰められていない場合が多い)。 つまり、情報整理する人が役割をこなしきれていないことが多いということ。 あと、現場でよく見かけるのが、部分的な設計から全体的な設計へとさかのぼるやり方。これもちょっとよろしくない。 全体あっての部分であり、その逆で物を作るのは非常に難易度が高い。部分から作るのであれば、まず全体的な要素と部分的な要素をしっかりと切り分けた上で設計するべきである。 どんな画家でも全体像からラフを書く(はずw) デザイナーが紙と同様(または延長)としてしかWebデザインを理解できていない これはもういっぱいいる。まず、設計をすっ飛ばして画面デザインから作るのは問題外。 次にWeb的な特徴を考えないでデザインするのもレベルが低いと言わざるを得ない。Web的な特徴とは、
  • ウィンドウサイズは可変である
  • 文字サイズは可変である(文字サイズを固定できるのはIEだけ)
  • リンクの擬似クラスなどは動的である
  • ブラウザによってレンダリングに差がある
など 特にウィンドウのリサイズと文字サイズに関してまったく考慮に入れていない場合が多く、マークアップ段階で「ウィンドウサイズを大きくした場合はどうするの?」と毎回聞いてあげないといけない。 クライアント目に見えるものでの判断に頼ることが多いので、早い段階でのデザインが重要視されがちなのは分かるが。。。「デザイン案」をそのまま設計図にしないでください。 ディレクター>デザイナー>>>>>コーダーという力関係 多く見られる現象で致命的。Webの知識が豊富な人がマークアップをやっていても、コーダー(と呼ばれるポジション)の位置関係が低いと、以下のような弊害が出る
  • 設計に参加させてもらえない
  • ミーティングに参加させてもらえない
  • ディレクターやデザイナーに絶対服従
  • 設計、デザイン段階でスケジュールが押すと、コーディング時間が削られる
このカースト的な力関係は業界全体で蔓延しているので、そう簡単に変わらないと思うが。 ココまで書いてだんだん分かってきたが、つまりはWebのフローにSE的ポジションが不在がちなのが問題なのだろう。 「サイトがあればいい」という時代から、「どれだけ顧客を取り込めるか」、「売り上げを上げることが出来るか」という時代、さらにはユニバーサルデザインを重要視する時代へと移ってきて、内部のフローも変えなきゃいけないと思う。 もう少し加筆してコラムに置いとこ。 2004-08-27:一部修正&方言的な表現を修正

整理

思い立ったがアレなので、スタイルをアレしてみた。 まだ足りない部品がアレなので、即急にアレする予定。 やっぱり段組レイアウトはコンテンツの幅が狭くなるのでアレだ。 メニューも必要最低限(いや、足りてないかもw)で。 Blog然としているレイアウトは飽きたしね。 つか、そろそろ何らかのシステムを入れないとダメだ。管理ができない。 これからの運用、保守はやっぱCMSかなぁ。

国民栄誉賞「どんどん出せ」 五輪メダルラッシュで首相

「どんどん出せ。今度は大盤振る舞いしても、選挙目当てなんて言われないだろう」 どんどんて。。こんなヤツに首相やらしといてダイジョウブなのか?

水曜日, 8月 25, 2004の記事

そろそろ

Blogも書き始めて一年が過ぎたし、そろそろ整理せんと収拾つかんな。 ドブロクに合併しようかな。デザイン別な意味あまりないし。

インタラプトアイデア

仏教用語のアルファベット表記《アーラーラ・カーラーマ (aalaara kaalaama) とかウッダカ・ラーマプッタ (uddaka raamaputta)とか。》と、ヴォイニッチ手稿の文字って似てない?

月曜日, 8月 23, 2004の記事

愛で地球を救え!(タイトルに意味無し)

あの丸一日ボランティアや愛を叫び続ける番組のことである。 小学生の時、24時間もぶっ続けで番組をやるという企画に、驚きと斬新さを感じて寝ずにみてました。 昔は手塚治虫の「三つ目が通る」などのスペシャルアニメがあったり、企画自体もすんなりと受け入れられるようなものだったような気がする。 疑問を感じるようになったのは「サライ」が出来てからだ。 いや、「サライ」自体はすごく良い曲だと思うし、好きですよ。 でも、あの番組は「サライ」を境にどうも変な方向へ向かって行っているような気がしてならない。 実際、ここ5年はまともに見てもいない。 なんというか、企画の方向が「どうやって徳光さん以下、パーソナリティを号泣させるか」に終始しているような気がする。 24時間ぶっ通しでカメラの前に立たせ(想像ですが、カメラの前というのは精神的にも肉体的にも消耗するのではないでしょうか?)、「良い話」系の企画をサミダレ式にその疲れきった脳みそに叩き込む。 パーソナリティ、ゲスト、会場のボルテージがマックスになったところで「サライ」「負けないで」etc. 今年は「世界に一つだけの花」を切り札に加え、ますますヒートアップ。 パーソナリティは、モニター越しに当事者と会話。内一人は密着取材。嫌でも親近感が沸いてくる。本番前のドキュメンタリーも制作して準備万端だ。 そして止めは「ハンディキャップ」。 これが良くない。 - 誤解を招きたくないのでいいわけするが、僕はどちらかと言えばバリアフリーに真剣な方だし、仕事(Webクリエイター)でもその部分は第一に考えている。 自分自身を評価するのは難しいのでやめておくが、別に悪意や皮肉で言っているつもりは無いと思う。 - 分かりやすいハンディキャップを背負った人たちに、特派員をつけマンツーマンで支援する。 壁もある。一筋縄ではいかない。 成功したときの感動はヒトシオであろう。 この工程を否定はしない。寧ろこういう企画を通してでしか成し得ない種類の達成感であると思う。 しかし、企画段階、特に人選に問題がある。 結論から言えば、身体的バリアを持っている人を「あえて」選んでいるのには、虫酸がはしる。 正直、反吐が出る気分だ。 なぜ「あえて」なのか? 公募した学生や社会人でも良いではないか。 人はそれぞれ身体的なバリアだけでなく、環境的なバリア、経済的なバリアなどを持っている。 中には、本人すら自覚し得ないバリアもある。(これはバリアが小さいということではなく、見えにくいという種類のもの) そういう種類のバリアの克服は見た目に派手ではない場合が多い。借金が0になっても、目に見えた変化は早々起こらない。しかし、生きている人は何かしら壁にぶち当たり、努力や挫折を繰り返しているはずだ。 そういう考慮をすっ飛ばして「分かりやすい」バリアを「あえて」選んでいるのが気に食わない。 テレビ的、ドラマチックだと言ってしまえばそれまでだが、企画者は考えが足りないと思う。 あと100Kmマラソンだっけ? 芸能界からスケープゴートを毎年一人選出し、24時間ぶっ通しで走り続けさせる。ほとんど拷問。カンペイさんなどマラソン経験者なら分かるが、、近年その選抜方法も全く謎。 さらに言えば、なぜ「100Km」なのか?疑問は尽きない。 野球の「なぜストライクは3つまでで、ボールは4つまでなの?」に似ている。 痛み止めを打ったり、サポートの人間が何人も併走したり、よく分からないことだらけだ。 で、倒れたり、リタイア寸前になると「負けないで Byざーど」の大合唱。いったい何に負けなければいいのだろうか? この番組によって、救われる人もいるし、元気をもらう人も大勢いると思う。 チャリティーの番組としてもすごく意義のあることだと思う。 僕だってこの番組をみれば、個人的には応援するだろう(してきた)。だって当人は真剣に、必死に取り組んでいるのだから。 しかし僕は、番組制作者によって意図的に作られたこの窮地をどうも受け入れられない。この番組の裏側に流れる卑しい精神が気に入らない。 だからって、どうするわけでもないですがね。

木曜日, 8月 19, 2004の記事

ないアルよ

一番最初に、中国人が喋る日本語の語尾に「アルよ」をつけた奴は天才だと思うアルよ。

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